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December 28, 2006

ぼやけた世界の中で

記事の更新が、滞っているこのごろ。

妊娠中は、あらゆることにもやがかかっているようにはっきりしない。

「きっちりと」ということが出来ないし

罪悪感や後悔にも、もやがかかっている。

「ありがとね~」・・・ぽや~・・・

 すべてがそんな感じ。

「あ、忘れてた・・・」・・・ぽや~・・・

「眠いなぁ・・・」・・・ぽや~・・・

冬眠前のくまみたいだ。

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December 19, 2006

優先席の意味

先日、電車の中で初めて座席を譲ってもらいました。

ほとんど電車は利用しないのですが

最近は、時間が長くなってくると揺れを踏ん張るのがつらくなってきて

ついつい、優先席めがけて乗り込むことが多くなりました。

おなかが大きくなってきて、「マタニティーマーク」をつけているにもかかわらず

今まで、一度も譲ってもらえることがありませんでした。

立ち尽くすよりほかにアクションを起こしようが無く、

恨めしそうに見ている自分が、恥ずかしくさえ思えて

電車に乗るのが嫌になっていたこのごろでした。

初めて席を譲ってくださったのは、高齢の父親を連れた40台ぐらいの男性でした。

それも、優先席ではなく、普通の座席でした。

立ち上がって、にっこり笑って「どうぞ」とおっしゃったその方は、

本当に感じがよく、心の底から感動に包まれました。

母親教室でも、めったに譲ってもらえないということが話題になりました。なんだか悲しいです。

妊娠する前、

「優先席なんてばかげている」と思っていました。

優先席でなくたって、譲るべき人には譲るべきですから。

でも、電車に乗っている人がみんな、周りを気にしながら乗るべきとは思いませんし

若いうちだって、ゆっくり休みたいときもあります。

譲っていただけたらな、という淡い期待を抱いている場合、目指す優先席があるのは、便利です。

だから・・・

せめて、優先席に腰を下ろしたら回りに目を向けて欲しいと思います。

優先席の近くを観察していると、私と同じように目を伏せてじっとたっているお年寄りや子供連れの方が目に付くようになりました。

世の中って、案外冷たいんだな、なんてちょっとへこんでしまうこのごろです。

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December 13, 2006

おすすめ写真展 神楽坂

Dm_02_1

2006.12.12(火)~ 2007.1.13(土)

神楽坂のギャラリーマンテン にて

木暮洋治展 -kiseki- が開催されています。

・・・主人の初個展です。

東京在住の方、ぜひ一度お立ち寄りくださいませ。

詳しい情報はギャラリーマンテン のHPからどうぞ。

+++++++

完璧な物など無い

何が悪しく何が良きか

生きる事など、自己満足の世界なのかもしれない

観て、聴いて、話して

勝手に感動し、解釈し、己のものとしようとする
人の言葉を己の言葉のように話し
そしていずれ本当に自分の言葉とする

多くの人から影響を与えられ、成長し、自己満足を繰り返す
その姿がまた人へと影響を与える

自己完結で終えないような自己満足でありたい

今在る己は死への軌跡でしかなく
確固とした軌跡であり・・・奇跡である

                     木暮 洋治

リンク:+BTcontemporary artwork review

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December 09, 2006

このごろ考えること

結婚したからといって、いい妻になれるわけではない。

苗字が変わったからといって、いい嫁になれるわけではない。

子供が出来たからといって

子供を産んだからといって、いい母になれるわけではない。

旦那を愛し、父や母を愛し、子を愛し

すなおに傾ける耳を持たなければ

いい妻、いい嫁、いい母にはなれない。

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December 04, 2006

外科医としての覚悟

前の記事、「頭を離れない患者さん」に対する、寧夢さんのコメントを読んで感じたことを書きたいと思います。

寧夢さんの、『「痛みと不安は主観的な問題だ」と言われて、相手にされませんでしたし、満足な説明は頂けませんでした。』というコメントを読んで、わたしもハッとしました。

整形外科では、手術の「適応」ということを考えるとき、「痛みと不安は主観的」なので「客観的症状」を根拠に手術に踏み切るのが原則、と教わりますし、原則的にはそうあるべきだと思います。

そして、「何とかしてほしい」という願いに対して「手術」という選択肢は、自分の技術に対する自信とたとえよくならなくても責任を持つ、という覚悟がないと、取れません。

人に傷をつけることを許されている唯一の職業であることに、私は常に恐ろしさを感じています。

手術をするということは、人に傷をつけることなのです。

手術をする、ということで患者さんはさらにストレスを抱えることになるのです。

この訴訟のご時勢、「絶対」なんてありえないから口にしてはいけない、と教わりますが「手術をしましょう、絶対よくなります」という気持ちでなければ、医者は手術に踏み切るべきではないと思います。

そして、手術は決して「してやる」ものではありません。

「この患者さんには手術の適応がない」と思ったとき

寧夢さんに説明した医師のように、とたんに「何も手だてが無い」と突き放す医者がいます。

本当は、手術をするという選択をしたときと同じように、手術をしない選択をした場合、とことん「痛み」と付き合う覚悟がいるのです。

私は、痛みを取る武器をたくさん持ちたいと思っています。

それも、正しくて根拠のある武器を。

どんな患者さんに対しても、根拠のある治療を選択できるように、たくさんの引き出しを持ちたいです。

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