心強さ:診察室で差し上げる一服のお茶
偶然、同じ時に同じ事を考えていてびっくりした。そう、救急外来でも、普通の外来でも、患者さんの「不安」を見ることから全てが始まる。
「痛み」を抱えて、外来の扉を勇気を出してくぐる患者さんたち。
特に救急外来は、「もう少し、我慢ができるんじゃないか。でも、これ以上時間が過ぎたら手遅れになってしまうんじゃないか」と
来院までに自問自答を繰り返して、来院する患者さん。
みんな、第一の主訴は「痛み」でも「しびれ」でもなく「不安」なのだと思う。
>どしゃ降りの中軒下に駆け込んだ人にタオルを差し出すように
>震えながら扉をあけた客人に暖かいお茶を出すように。
我々は何よりも、「心強さ」を受け取ってもらわなければならない。
患者さんが本当に欲しいものは「理路整然とした説明」でも「大掛かりな検査」でも決して無い。
私は果たして、診察室から帰っていく患者さんたちに
心強さを感じてもらっているだろうか。
つぎつぎと来院する患者さん、隣にはうずたかく積まれていくカルテ。
くじけそうになるときもある。
でも、
心いっぱいに不安を抱えて、来院する患者さんたちに
我々は、早急に診断を下すことだけを考えてはいないだろうか。
薬や検査、病名のことだけを考えてはいないだろうか。
不安のみなもとを、両目でしっかり見ているだろうか。肌を通して受け止めているだろうか。
「大丈夫、不安に思わなくても。受け止めるから。何とかするから。」
心で何回も繰り返す。自分に言い聞かせるためにも。
そして、患者さんの不安に答えられるよう、何よりも謙虚でありたい。
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Comments
ジジです。
謙虚さは、何をするにも必要ですよね。どんな事も、どんな仕事であっても、結局は人付き合いですから。
HOORNさんの謙虚さに、いつも頭が下がりっぱなしです。自分を見つめ直す厳しい目を持ってますね。自分が病気した時は、HOORNさんに診てもらいたいな。
Posted by: ジジ | July 12, 2005 02:49 AM
本音と建て前の部分もあると思います。
現実の忙しさの中で見失ってしまう部分もあるでしょう。
生理的に受け付けない患者がやってくることもあるかもしれません。
でも、患者さんにしたらどんな医師であってもその医師を頼ってきてるわけですから、Hoornさんが仰るような謙虚さを持った医師に是非診てもらいたいと僕も思います。
裏で、「あの患者さぁ~。」みたいなことを言う医師も居るようですが、そういうのを聞くとやっぱりちょっとって思いますし。
Posted by: Yokoken | July 12, 2005 01:36 PM
ジジさん、温かいコメント、ありがとうございます。こんなところでなんですが、ジジさんの「カミングアウト」腰を抜かしました。書き手が男の人か、女の人かっていうことは、文章の読み取り方も変わってくるのですね。ジジさんが男の方と分かってからの方が、拝見していて楽しいです。
Posted by: HOORN | July 14, 2005 01:21 PM
「本音と建て前の部分」、最近はだんだん距離が縮まってきました。本音の部分を隠して、営業スマイルだけで乗り切れるほど、患者さんたちの眼は節穴ではないですものね。建前で流してたら、信頼関係を築くことなんてできないなぁと、ひしひしと感じます。
心を通わすためにも、自分にも正直になることを、心がけてます。
プライベートでは、「生理的に受け付けない人(いないという方がうそですから・・・)」に対して、しないような努力を、診察室の中でなら喜んで出来ます。築きたいのが、いい友達関係ではないので、友達にはなれないような人とも信頼し合い、理解しあうことが出来るのだと思うのです。
建前(というか、理想)を生きていくと、だんだん身に染込んでくるもんですね。現場から学んでいます。
Posted by: HOORN | July 14, 2005 01:37 PM